紛争とは?戦争との違いや現在も続く紛争の原因について徹底解説

紛争とは?戦争との違いや現在も続く紛争の原因について徹底解説

2023.08.22(最終更新日:2024.06.21)
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「紛争と戦争との違い」と聞いて、戦争の方が規模が大きそうだと感じませんか?実は紛争と戦争という言葉を比べると、紛争の方が大きい捉え方をします。また、「紛争は聞いたことがあるけど、今も続く紛争は知らない」という方も多いのではないでしょうか。紛争は現在も世界各地で続いており、人々を苦しめているのです。

そこで、本記事では

  • 紛争の定義
  • 紛争の原因
  • 現在も続く紛争
  • 紛争が人に与える影響
  • 紛争で苦しむ人々のために私たちができる行動

について解説します。現在の紛争を知ることはSDGsの目標16「平和と公正をすべての人に」を達成するための行動にもつながります。紛争に苦しむ人々のために、私たちができることからはじめていきましょう。

紛争の定義

紛争とは、経済・宗教・文化・民族・集団心理・環境などの違いから起こる、2者以上の争いのことを指します。ただし、紛争の定義は団体によって捉え方が様々です。例えば大きな組織では下記のような定義があります。

JICAは、主に途上国の人材育成や制度構築のための技術協力を行う独立行政法人国際協力機構。セーブ・ザ・チルドレンは、子どもの権利のパイオニアとして100年以上の歴史を持つ大きな団体です。上記の定義から、団体により紛争の捉え方が少し異なることを認識しておきましょう。

紛争・戦争・内戦の違い

「戦争」や「内戦」という言葉も良く耳にしますが、紛争とはどのような違いがあるのでしょうか。違いは下記表のとおりです。

用語 紛争・戦争・内戦の違い
紛争 2者以上の争い事
戦争・内戦も含んでいるのが紛争
戦争 国同士での争い事
戦争も紛争に含まれる
内戦 1国内での争い
内戦も紛争に含まれる

紛争・戦争・内戦の中で最も大きな概念が紛争です。そのため、紛争は国家間規模の大きな戦争から個人間の争い事まですべて含みます。一方、戦争は国家間に限定しており、内戦は1国内での争い事です。戦争の例でいえば、第二次世界大戦、内戦はミャンマー内戦などがあげられます。そして、両者とも紛争の中に含まれていることが紛争・戦争・内戦の違いです。

SDGsと紛争の関係

SDGsとは、持続可能な開発目標と訳され、国際的な環境・人権・貧困などの問題を持続的な形で解決していく目標です。SDGsには17の目標があります。その中の目標16「平和と公正をすべての人に」は紛争と大きく関わるのです。
目標16「平和と公正をすべての人に」の内容は下記のとおりです。「16-1」のような数字は目標、「16-a」のようなアルファベットは目標達成のための方法を表します。

目標・方法 内容
16-1 あらゆる場所で、あらゆる形の暴力と、暴力による死を大きく減らす。
16-2 子どもに対する虐待、搾取※、人身売買、あらゆる形の暴力や拷問をなくす。
※搾取(さくしゅ):お金を払わずに、あるいは不当に安いお金で子どもを働かせるなど、子どもの幸せをうばって利益をえるようなこと
16-3 各国でも、国際的にも、法律にしたがってものごとが取りあつかわれるようにし、すべての人が、平等に、争いを解決するための裁判所などの司法を利用できるようにする。
16-4 2030年までに、法律に反する資金や武器の取り引きを大きく減らし、うばわれた財産が返されたり、もとにもどされたりするようにする。あらゆる形の組織的な犯罪をなくす。
16-5 あらゆる形の汚職や贈賄※を大きく減らす。
※贈賄(ぞうわい)とは、地位や職業上の権利を持っている人に対して、自分に都合の良いことをしてもらうために、不正にお金や贈り物(=賄賂(わいろ)という)をわたすこと。汚職(おしょく)とは、自分の地位や職業上の権利を利用して、賄賂をもらって不正に何かしてあげたり、個人の利益を得ること。
16-6 効果的なはたらきができ、そのはたらきについて十分な説明ができ、だれにでもそのはたらきの内容や過程がわかるような公的な機関を、あらゆるレベルで発展させる。
16-7 あらゆるレベルでものごとが決められるときには、実際に必要とされていることにこたえ、取り残される人がないように、また、人びとが参加しながら、さまざまな人の立場を代表する形でなされるようにする。
16-8 国境を超える問題を解決するための国際的な機関への、開発途上国の参加を広げ、強める。
16-9 ※出生登録(しゅっしょうとうろく):赤ちゃんが生まれたときに、国に届を出したり、報告をしたりして、生まれた子がその国や地域の国民・市民として登録されること。日本では出生届(しゅっしょうとどけ)がこれにあたる。
16-10 国内の法律や国際的な取り決めにしたがって、だれでも情報を手に入れられるようにし、基本的な自由がおかされず、守られるようにする。
16-a 特に開発途上国において、暴力を防ぎ、テロや犯罪をなくすために、あらゆるレベルでの対応力を高められるよう、国際的な協力などを通じて、各国でこの問題に取り組む機関の力を強めていく。
16-b 持続可能な開発のために、差別のない法律や政策をすすめ、実施する。

(出典:日本ユニセフ協会-16.平和と公正をすべての人に-

上記表の16-1をみてみると、「暴力と、暴力による死を大きく減らす」とあります。紛争を減らし、平和な世界を実現することは、暴力と、暴力による死を大きく減らすことにつながります。よって、紛争はSDGsと深い関係にあるといえるでしょう。

また、16-2では「子どもに対する虐待をなくす」とあります。紛争により食糧難に陥ると、子どもたちが満足のいく食事を摂取できなくなり、虐待につながりかねません。紛争を解決することが、虐待防止にもつながるのです。

このように、紛争解決はSDGsの目標16「平和と公正をすべての人に」の達成と密接に関係します。早急に紛争解決の行動を起こし、今も苦しむ現地の人々を救うことが必要でしょう。
紛争地帯の街中ががれきの山となり、そのがれきの中に埋まるボロボロになった車

紛争が起きる原因

紛争が起きるには必ず原因があります。その原因を宗教、民族、資源、政権への不満という4つの観点からみていきましょう。

宗教

文化庁の宗教年鑑(令和4年度版)によると、世界には約18万もの宗教法人があります。それらの宗教の違いや同じ宗教でも内部での考え方の違いにより、紛争が起きることがあるのです。例えば、イスラム教のスンニ派とシーア派やイラン・イラク戦争です。それぞれ詳しくみていきましょう。

【スンニ派とシーア派】
イスラム教にはスンニ派とシーア派という派閥があります。イスラム教の創始者はムハンマドで、その血筋の有無でスンニ派とシーア派が分かれているのです。

かつてイスラム教は創始者ムハンマドの後継を誰にするかで議論が行われました。ムハンマドの義理の父(アブー・バクル)を後継者にする派とムハンマドの従兄弟(アリー)を後継者にする派で意見が対立していたのです。

議論の結果、年齢的なことも考慮され(当時アブー・バクル59歳、アリー30歳)、義理の父が後継者に選ばれました。しかし、アリーはムハンマドと血筋が同じなので、後継者にふさわしいという勢力が多数いたのです。

月日は流れ、4代目の候補者選びで再び対立します。ムアーウィヤ(3代目の一族)とアリーの対立です。実は3代目は一族贔屓をしており、国内では身内贔屓する3代目に批判が向けられ、暗殺されていました。そのような当時の社会情勢もあり、3代目と同じ一族のムアーウィヤは敗れ、ムハンマドの血筋であるアリーが選ばれたのです。

しかし、ムアーウィアは納得いかず、アリーに戦争仕掛けます(スィッフィーンの戦い)。その戦争ではアリーが戦争を有利に進め、ムアーウィアが休戦を申し出ました。

アリーは休戦を受け入れますが、アリー派の中で休戦に納得いかない過激派が現れ、アリーはその過激派によって暗殺されてしまいました。よって、アリー暗殺により、ムアーウィアが次の後継者となります。

しかし、ムアーウィアはムハンマドと直接的な血のつながりがないので、反対派が依然多い状況です。その反対派の人々が独立してできた派閥がシーア派とよばれます。

一方、シーア派以外の主流派を「イスラム教の慣習を重視する」という意味でスンニ派とよびます。スンニはアラビア語で慣習に従う人という意味で、スンニ派が現在のイスラム教では多数を占めています。
(参考書籍:キャロル・ヒレンブランド『図説イスラーム百科』原書房)

【イラン・イラク戦争】
上記のスンニ派とシーア派の対立が現在でも戦争という形で現れたのがイラン・イラク戦争です。

1900年代、イランはパフラヴィー2世という王様が国を治めていました。パフラヴィー2世アメリカやヨーロッパよりの考えを持っており、その考えをもとに国を発展させてきました。

しかし、イランはイスラム教が多数を占めます。よって、イラン国民は、パフラヴィー2世の政策に強く反発したのです。
すると、パフラヴィー2世は反政府側の人たちを拘束しました。このような反政府側の人たちを取り締まることがきっかけとなり、イラン国内でデモが多発します。その結果、パフラヴィー2世はイラン国外へ追放され、イスラム教信者のアーヤトッラー・ホメイニーが国を治めることになりました(イラン革命)。

イランが上記のような革命が起きている頃、隣国のイラクではサッダーム・フセインがリーダーを務めていました。

イランとイラクは同じイスラム教徒の国でしたが、シーア派とスンニ派の違いがあったのです。

イランはシーア派が多数を占めており、一方、イラクはシーア派とスンニ派が混在していますが、大統領のサッダーム・フセインがスンニ派でした。よってイランとイラクは仲が悪く、抗戦状態が続いていたのです。また、2国の間に流れるシャトル・アラブ川という川では石油がよく採れるため、争いが激化していました。

そこで、イランとイラクはシャトル・アラブ川の国境線は水路の真ん中とするアルジェ協定を結びます。

しかし、イラクはアルジェ協定に不満があり、シャトル・アラブ川付近を自国のものにしたいと考えていたのです。イラクのフセイン大統領はアルジェ協定を破り、イランに侵攻します。これがイラン・イラク戦争です。

最終的に国際連合が仲介に入り、8年におよぶ戦争は終結しました。しかし、結局国境は戦争が始まる前と同じであり、多数の死者を出しただけでした。さらに、イラクはこの戦争で多額の借金を作ったため、自国再建のためにクウェートへ侵攻する湾岸戦争の引き金となったのです。

このように、イランとイラクはシーア派とスンニ派という宗教上の対立からはじまり、資源を求めて紛争に発展したのです。
(出典:国土交通省-2.イスラム教-外務省-イラク基礎データ-Ministry of Foreign Affairs of Japan-(4)イラン・イラク紛争-世界史の窓-イラン=イラク戦争-ホンシェジュ-5分でわかる湾岸戦争!概要、原因、イラク戦争との違いをわかりやすく解説!-

民族

民族とは、共通の言語や宗教、風習などをもった集団です。この民族の違いによって紛争が発生することがあります。例えばアフリカのルワンダという国のフツ族とツチ族があげられます。

19世紀末、ドイツがルワンダを支配していました。その後、第一次世界大戦でドイツが敗北したことで代わりにベルギーによる統治がはじまります。

ルワンダという国にはツチ族とフツ族という民族が暮らしています。ベルギーはツチ族を贔屓し、重要な役職にツチ族を就け、国を治めさせました。

するとツチ族が裕福になり、一方でフツ族が貧しくなったのです。その不満から、フツ族がツチ族の家へ火をつけるなどの国の治安を脅かす行為をはじめました。

すると、ベルギーは手のひらを返し、逆にフツ族贔屓をはじめました。そして、フツ族が国を治め始め、ベルギーからルワンダが独立したのです(ルワンダ革命)。

ツチ族はフツ族に復讐されるのをおそれて、周辺国へ逃げ、特にウガンダ(ルワンダ北部にある国)へ多くのツチ族が流入しました。

そこからルワンダはフツ族のジュベナール・ハビャリマナがルワンダのリーダーになり、「フツ族とツチ族の共存」を掲げたのです。その後、ツチ族がルワンダに少しずつもどってきて、共存していました。

しかし、ウガンダに逃げたツチ族はフツ族への恨みは依然根強く残っており、ルワンダ愛国戦線(RPF)というグループを作ります。

RPF(ツチ族のグループ)がルワンダに攻めてきて、ルワンダ軍と3年ほど内戦を行いました(ルワンダ内戦)。内戦後もフツ族とツチ族の間に深い憎しみが残る結果につながります。

内戦後の翌年、ルワンダのハビャリマナ(ルワンダのリーダー)とブルンジ(ルワンダの南部にある国)のリーダーが乗った飛行機が撃墜される事件が勃発。誰の仕業かは不明ですが、フツ族はツチ族がやったことだと思い込み、ツチ族虐殺を始めました。この虐殺をルワンダ虐殺といいます。

50万~100万の人が虐殺が行われたといわれ、大多数の犠牲者を出しました。100日程度かかり、最終的にはRPF(ツチ族のグループ)がルワンダ軍を倒しました。ガチャチャ裁判(それぞれの村ごとに住人がルワンダ虐殺をした人を裁判する)により、収束しました。

ルワンダ虐殺のように、民族同士の対立は恐ろしい紛争を引き起こしたのです。繰り返してはならない歴史の教訓として現代の私たちは知っておく必要があるでしょう。
(出典:外務省-ルワンダ基礎データ-国立研究開発法人科学技術振興機構-アフリカレポート-世界史の窓-ルワンダ/ルワンダ内戦-大阪大学学術情報庫OUKA-ジェノサイド後ルワンダにおける和解の「実践」:ガチャチャ裁判と、その後の「被害者」と「加害者」の語りをめぐって-

資源

希少な資源をめぐり、紛争が勃発することもあります。例えば、石油です。アフリカのスーダンという国では、油田が見つかったことと宗教上の対立により紛争が勃発しました(第二次スーダン内戦)。

もともとスーダンはイスラム教を信じる北側と、キリスト教中心の南側で対立し、紛争が起こっていました(第一次スーダン内戦)。17年ほど争った後、エチオピアでアディス・アベバ合意が承認され、1972年に戦いはいったん終わります。

アディス・アベバ合意により、南スーダンは将来的な独立を認められていました。しかし、その後南スーダンで油田が新たに見つかったのです。

当時のスーダンのリーダーはモハメド・アン=ヌメイリ。彼は、南スーダンで油田が見つかったとわかるとアディス・アベバの約束を破り、独立を認めない方針を固めました。さらに、国政にイスラム教を導入し、キリスト教中心の南スーダンの反感を買います。

よって、南スーダン側はスーダン人民解放軍(SPLA)というグループを作り、反乱を起こしました。これが第二次スーダン内戦です。

また、他の資源例で言えば、ダイヤモンドがあげられます。アフリカなどのダイヤモンド産出国にとって、ダイヤモンドは貴重な外貨獲得の資源です。ダイヤモンドは希少価値が高く、外国から高い値段で買い取ってもらえるために、国をあげてダイヤモンドの発掘に力を入れます。

しかし、そのダイヤモンド産出国であるアフリカは、非常に紛争が多い地域です。よって、そのダイヤモンドから得た利益が紛争の武器調達資金として使われ、紛争の長期化を引き起こす要因でした。

また、ダイヤモンド鉱山を武力で制圧し、近隣住民にダイヤモンドを発掘させるなどの非人道的なことが行われました。このように、ダイヤモンドが紛争を激化させたり、地域住民を酷使したりすることにつながっているのです。そのようなダイヤモンドを「紛争ダイヤモンド」や「血塗られたダイヤモンド」とよびます。

紛争ダイヤモンドの流通を排除するために、「キンバリー・プロセス」制度がはじまりました。キンバリー・プロセスには国単位で参加し、参加している国は非参加国のダイヤモンドを取り扱いません。紛争ダイヤモンドを資金源としている勢力を弱めることがねらいです。

しかし、キンバリー・プロセス制度自体も完璧ではなく、管理の甘さやなどが指摘されています。よって、紛争ダイヤモンドが完全に流通しなくなるという世界は実現できていません。

このように、貴重な資源は紛争の激化を引き起こしかねません。
(出典:外務省-スーダン共和国基礎データ-経済産業省-ダイヤモンド原石の輸出入管理-世界史の窓-スーダン内戦-PRMAL-キンバリープロセスの真実-日本国際問題研究所-スーダン内戦と平和構築-

政権への不満

政権への不満も紛争の引き金となります。例えば、後に詳しく紹介するミャンマー内戦は、軍事政権に対する民衆の不満から始まっています。軍部と民衆の対立は現在も続いているのです。

その紛争に民間人が巻き込まれ、命を落とすこともあります。よって、政権への不満は戦争の引き金になり、現地の罪もない住民を苦しめることにつながるのです。

現在も続く世界の紛争

では、現在も続く紛争にはいったいどのような背景があり、人々を苦しめているのでしょうか。今も続く6つの紛争について詳しく解説していきます。

アフガニスタン紛争

1つ目の紛争はアフガニスタン紛争です。1978年、当時国家権力を握っていたアフガニスタン国民革命党のムハンマド・ダーウードが抹殺されます。この事件がきっかけでアフガニスタン紛争が勃発しました。国民革命党の反対勢力であったアフガニスタン人民民主党(社会主義)の武力蜂起によるものです。

アフガニスタン人民民主党は社会主義(皆が平等に暮らせることを目指すこと)であり、宗教を禁止していました。しかし、アフガニスタンにはイスラム教信者が数多くおり、宗教禁止に反発したのです。

その反発した勢力でムジャヒディンという複数の民兵組織ができました。ムジャヒディンはアメリカ・パキスタン・イラン・サウジアラビア等による援助受けており、ゲリラ戦を繰り返します。

一方、人民民主党はムジャヒディン勢力を抑えるためにソ連に軍事介入を要請し、紛争は激化していったのです。

1988年にムジャヒディンはソ連軍の撤退合意を勝ち取ります。さらに、1992年にはアフガニスタンの首都カブールにおいて、当時のナジブラ政権を倒しました。

しかし、その後、ムジャヒディン内部で争いがおこり、アフガニスタン全土で内戦が起きます。

なかなかアフガニスタンが安定しない中、1994年にタリバンという新たな組織が誕生しました。その後、オサマ・ビン・ラディンもタリバンに合流し、国際テロ組織アルカイダが結成されたのです。このアルカイダはアメリカ同時多発テロ事件(2001.9.11)を引き起こします。

アメリカはタリバンにオサマ・ビン・ラディンの身柄を渡すように言いますが、タリバンがこれを拒否。よって、アメリカはタリバンを打倒するため、アフガニスタンに攻め入ります。

その後、2021年8月にアメリカがアフガニスタンを撤退し、現在ではタリバンがアフガニスタンを掌握しています。

アメリカはアフガニスタンを撤退しましたが、現在でもアフガニスタンでは不安定な状況が続いています。対人地雷も数多く設置されており、アフガニスタン市民の安全確保や復興の大きな阻害要因になっているのです。
(出典:外務省-アフガニスタンの現状と問題-世界史の窓-ソ連のアフガニスタン侵攻-世界史の窓-米軍のアフガニスタン侵攻/アフガニスタン戦争-世界史の窓-ビン=ラーディン-世界史の窓-アフガニスタン(1)-

ウクライナ侵攻

ウクライナ侵攻は「最近ニュースで聞いたことがある」という方も多いでしょう。ウクライナとロシアの対立は東西冷戦(第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国と、東側諸国との対立)の頃までさかのぼって理解する必要があります。

第二次世界大戦後、世界は2つの大きな同盟にわかれます。アメリカ中心の自由主義を掲げる北大西洋条約機構(NATO)とソ連率いる社会主義を掲げるワルシャワ条約機構という軍事同盟です。この2つの同盟の対立を東西冷戦といいます。そして、当時のウクライナはウクライナ・ソビエト社会主義共和国でソ連に組み込まれていたのです。

その後、1989年にベルリンの壁が崩壊、1991年にソ連が解体したことでウクライナ独立します。ソ連も現在のロシアになり、ワルシャワ条約機構もソ連解体直前に解散しました。この時点で東西冷戦は終結します。

その後、ヨーロッパの国々がNATOへ加盟し、かつてのソ連の支配下がどんどんNATOに入っていきました。

1999年には、プーチン大統領が初めてロシアの大統領になります。プーチン大統領はかつてのソ連時代の国が消えていくような感覚でヨーロッパ諸国のNATO入りをみていたことでしょう。

そして、2014年。ウクライナの親ロシア派大統領(ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領)が、EU加盟などを求める反政府運動により追放されます。この事件により、ロシアがウクライナに介入するきっかけとなりました。

その後、クリミア半島(ウクライナの南部)で親ロシア派の武装集団が議会を占拠し、ウクライナから独立。クリミアでは、ロシアへの編入を問う住民投票でも9割以上の支持を得ますが、ロシアが大きく介入しているといわれています。この一連の流れが「ロシアによるクリミア併合」です。

緊張が高まる中、2021年にウクライナ東部とロシアの国境付近にロシア軍が終結します。2022年にはウクライナ北部のベラルーシでロシア軍とベラルーシ軍が大規模な軍事訓練行いました。ウクライナとロシアがいつ争ってもおかしくないような状況です。

そして、2023年。ロシアがウクライナ東部のドネツク州、ルガンスク州で親ロシア派が支配する地域を独立国として承認します。ウクライナの攻撃からこの独立国を守るという名目で侵攻開始したのです。

さらにプーチン大統領は、ウクライナ東部地域ではロシア系住民が過激派組織により虐殺されていると捉えます。それを阻止するための特別軍事作戦を実施するとしてウクライナ全土へ攻撃開始しました。これがロシアによるウクライナ侵攻です。

現在も激しい戦闘が続いており、難民問題も深刻化しています。ウクライナからヨーロッパ諸国へ避難した難民は810万人以上といわれ、世界的な支援が継続的に必要な状況です。

ウクライナが1国で戦う理由
①ウクライナはNATOのような同盟に加盟していないので、一緒になって戦う根拠を持つ国がない。
②安全保障理事会(国際の平和及び安全の維持に主要な責任を負う、国際連合の主要機関)ではロシアが拒否権を持つため、撤退を求める決議がロシアに拒否される。国際連合の常任理事国(中国、フランス、ロシア、英国、米国)のうち、1国でも拒否権を発動すると、決議は否決される。

(出典:外務省-ウクライナ基礎データ-国連UNHCR協会-ウクライナ-世界史の窓-ロシアのウクライナ侵攻-世界史の窓-北大西洋条約機構/NATO-世界史の窓-ワルシャワ条約機構-日本経済新聞-米軍なぜ派遣できない?ウクライナ情勢緊迫-世界史の窓-ウクライナ-世界史の窓-プーチン-NHK-国連安保理 ロシア拒否権で決議案否決 ウクライナ大使は黙とう

ミャンマー内戦

続いてミャンマー内戦をみていきましょう。

ミャンマーは1948年にビルマ連邦として独立しました。ビルマ連邦は多民族国家だったので、各地で内戦が相次ぎ、それを鎮圧する軍部が力をつけるようになります。

1962年には軍部の最高権力者であるネウィン将軍により、クーデターが引き起こされ、軍部が権力を掌握します。ここからビルマ連邦では軍政(軍部が権力を持ち政治を行う)の国となりました。

ネウィン政権はしばらく続きますが、社会主義を原理とした経済政策は国民の反感を強めていたのです。そこで、次第に軍政ではなく、民主化を求める声が大きくなってきます。

アウンサンスーチー氏はビルマ連邦独立に寄与したアウンサンの娘であり、民主化運動の象徴的な存在となっていきました。

そして、民主化運動は大きくなり、軍事政権を退かせます。しかし、軍部は再度クーデターを起こし、新軍事政権が誕生します。このタイミングで軍事政権は新軍事政権を国民に認識させるため、ビルマ連邦をミャンマーへと国名変更します(1989年)。

新軍事政権は民主化運動を厳しく弾圧し、アウンサンスーチー氏を長期にわたり自宅軟禁しました。このような軍事政権の動きは世界から非難され、ミャンマーは欧米から経済制裁を課されます。次第に軍政への批判が高まり、軍政側も民主化への歩み寄りをみせはじめます。

2008年には新憲法、2011年には選挙によって選ばれた人が政治を行う民主制がはじまりました。この民主化の動きで、欧米からの経済制裁は解除され、ミャンマーは発展しています。

しかし、新憲法では議会の議員の4分の1は軍から選出される、憲法改正には4分の3以上の賛成が必要など、軍部の影響力が強いままです。

また、ミャンマーには多数の民族が暮らす多民族国家であり、民族同士の争いに民主政権が対応できない問題もありました。このような情勢の中で、民主政権に対する批判が少しずつ増してきている状況でした。

そして、2020年に総選挙が行われます。アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が大勝をおさめ、民主化の定着を図ります。しかし、軍部がこの選挙は不正とみなし、2021年2月にクーデターを起こしました。アウンサンスーチー氏含むNLD派の幹部を拘束されます。その後ミャンマーは軍部が再度政権を掌握し、情勢が不安定な状態が続いています。
(出典:外務省-ミャンマー基礎データ-世界史の窓-ミャンマー-世界史の窓-アウンサンスーチー-日本経済新聞-ミャンマー改憲案、大半否決 国軍議員ら反対で-

シリア内戦

続いてシリア内戦を見ていきましょう。シリア内戦は政権への不満と宗教が絡み合って勃発した紛争です。

シリアではアサド大統領の独裁政権が続いていました。アサド大統領はイスラム教のシーア派なので、シーア派贔屓の政治を進めるようになります。

しかし、シリアではイスラム教のスンニ派も多数いるので、スンニ派の人々がアサド政権に反発し、内戦に発展します。

つまり、シーア派中心のアサド政権軍、スンニ派中心の反政府軍の内戦がはじまりました。スンニ派中心の反政府軍は周辺国の支援を受け、自由シリア軍を結成し内戦は激化します。

ここにイスラム国(IS)が参戦します。イスラム国とはスンニ派の過激派組織です。よって、イスラム国、アサド政権軍、自由シリア軍などの反政府軍の戦いとなりました。

アサド政権側はシーア派のイランが味方し、反政府側はスンニ派のサウジアラビアやカタール、トルコなどの支援を受けます。その後、イスラム国は崩壊し、アサド政権対反政府軍の戦いとなりました。このように、周辺国の宗教上の違いも含めた紛争に発展しているのがシリア内戦です。

2019年にはアメリカ撤退しますが、シリア国内では依然空爆が続いており、地雷も多数埋められています。また、2021年にはシリアの首都ダマスカスで政府軍のバスが爆破される14名死亡するなど、治安が不安定な状態が続いているのです。
(出典:外務省-Vol.87 「アラブの春」と中東・北アフリカ情勢-法務省-公安調査庁 世界のテロ等発生状況-世界史の窓-シリア-世界史の窓-アサド-

クルド対トルコ紛争

続いてクルド対トルコ紛争をみていきましょう。クルド対トルコ紛争は民族の違いや政権への不満から発生した紛争です。

第二次世界大戦後、トルコはマーシャルプラン(民主主義に忠誠を誓ったヨーロッパの国々に無償または低金利によって経済的な援助をすること)を受けて自由経済が発展します。マーシャルプランにより、国は豊かになりますが、貧富の差が拡大し、トルコ政府への批判が高まりました。

この反政府勢力に対し、トルコ政府は厳しい弾圧などを行います。その結果、トルコ政府への批判は勢いを増し、1961年には当時のメンデレス首相が逮捕され、翌年イムラリ島にて処刑されました。

このようなトルコ国内が不安定の中、クルディスタン労働者党(PKK)という組織ができます。メンバーはクルド人の学生たちで、皆が平等な社会を目指す社会主義の考え方の組織です。

クルド人とは「国を持たない民族」でトルコ、イラン、イラク、シリアなどの中東地域に住んでいるイラン系民族をさします。

PKKは活動地域をトルコ東南部のクルド人が多い地域に移しました。さらに、シリアなどにいるクルド人の軍事的支援を受け、力をつけはじめます。そして、1984年、PKKがトルコ軍の駐屯地を攻撃しました。これが現在も続く、クルド人とトルコ政府の衝突のはじまりです。

トルコ政府とPKKの対立でこれまで4万人以上の死傷者を出しており、依然緊張状態が続いています。
(出典:公安調査庁-クルド労働者党(PKK)-外務省-トルコ基礎データ-世界史の窓-クルド人/クルディスタン-公安調査庁-クルド労働者党(PKK)情報・知識&オピニオンimidas-クルド民族、闘争の歴史-アジア経済研究所-シリア内戦とクルド民族主義勢力-立教大学学術リポジトリ-なぜアメリカとトルコの関係は悪化したのか-

イエメン内戦

続いてイエメン内戦をみていきましょう。

イエメンでは2011年に大衆による抗議運動「アラブの春」を受け、民主化運動がはじまります。アラブの春とはアラブ諸国に広がった民主化と自由を求める運動です。それに反応する形で反政府デモが開始され、イエメン内部が混乱しはじめます。

混乱の結果、イエメンを支配してきたサーレハ大統領が辞任し、ハーディ新大統領が就任しました。しかし、ここでもイスラム教同士の対立がありました。サーレハはシーア派、ハーディはスンニ派だったのです。

2014年に反政府勢力であるシーア派がイエメンの首都サヌアへ侵攻を開始します。ここからイエメン内戦がはじまりました。

ハーディ大統領は反政府勢力に追われる形で、イエメン南部のアデンやサウジアラビアに避難します。そして、2015年、ハーディ大統領の要請で、スンニ派の連合軍がイエメンへ軍事介入し、反政府勢力に対抗しました。その後、反政府勢力からイエメン南部のアデンを取り返します。

当時アデンのリーダーをしていたズバイディはハーディとの対立からアデンのリーダーを辞職させられます。そして、南部暫定評議会(STC)という組織を作り、ハーディ勢力と内戦を繰り広げます。

さらに、そこにイスラム教の過激派組織アルカイダ(AQAP)も参戦し、内戦は激化していきました。2022年4月2日に国際連合が介入し、一時的な停戦になりましたが、現地では依然緊張状態が続いているのです。
(出典:外務省-イエメン基礎データ-外務省-イエメンにおける2か月間の停戦合意について(外務報道官談話)-世界史の窓-アラブの春-世界史の窓-イエメン-ARAB NEWS-イエメンの7年間に渡る内戦の経緯-REUTERS-イエメンの分離派、南部の自主支配を宣言 内戦深刻化も-ジェトロ-中東・北アフリカ地域の政治・経済・安全保障に関するリスクの状況-

紛争が人へ与える影響

ここまで、紛争について、定義や現在も続いている原因についてみてきました。それでは、そのような紛争は人々にどのような影響を与えるのでしょうか。

食糧難に陥る

1つ目の大きな影響は食糧難です。空襲や地雷で農村地が荒らされると農作物が作れなくなり、食糧難に陥るケースが多発しています。

WFP国連世界食糧計画では、飢餓の原因として4つのCをあげており、その中の1つが紛争(Conflict)なのです。

例えば、アフリカのレバノンでは国内で消費される食糧の85%を輸入に頼っています。

現在のロシアとウクライナの戦争により、両国の輸出が滞ると、その影響はレバノンにまで及びます。ロシアとウクライナは世界の穀物生産の多くを担っており、穀物がレバノンに届かないと、輸入に頼る国では食糧難が起きるのです。

このように、紛争は、世界的な食糧難を引き起こす可能性があり、現地の人々を苦しめてしまいます。
(出典:国連WFPニュース-飢餓から救う。未来を救う。-日本国際問題研究所-第11章ウクライナ危機と中東・アフリカ-

病気や感染症などの流行

紛争は病気や感染症などの流行を招きます。

例えば、紛争による爆撃により、現地のインフラが破壊されるとします。すると、水の供給や食料の調達ができなくなり、人々は飢餓状態に陥ります。飢餓状態の人々は、健康な体だとかからない病気にまで感染してしまうのです。よって、紛争は人々に病気や感染症を蔓延させ、苦しめる原因になるといえるでしょう。

また、紛争の空襲により、医療施設が破壊されれば、まともな治療を受けられないといえます。整った医療施設で治療を受ければ、治っていた病気も、十分な治療を受けられないために治らないのです。このことから紛争は病気や感染症で人々を苦しめるリスクを含んでいるといえるでしょう。

近年の感染症の流行でいえば、新型コロナウイルスの蔓延があげられます。新型コロナウイルスにより現地では「二重の危機」にさらされているのです。二重の危機とは下記2つの危機のことを指します。

  • 新型コロナウイルスによる命の危機
  • 紛争などの武装集団による命の危機

赤十字国際委員会のアフガニスタン代表部ファン・ペドロ・シェーラー首席代表は「先進国でさえCOVID-19の対応に苦慮しているというのに、武装集団が病院を襲撃する国でどうやって良質な医療を提供できるでしょうか。私たちは新型ウイルスが出現する前から、紛争地の医療施設や刑務所において十分な医療が施されていない現実を見てきました」と訴えています。
(出典:日本赤十字社-紛争とCOVID-19、二重の危機に直面する人々-
紛争を含む「二重の危機」により、まともな医療が提供されず、人々を苦しめているのです。

教育の機会を奪う

紛争は子どもたちの教育の機会をも奪います。紛争による空爆や銃撃に巻き込まれ、命を落としたり、教育施設そのものが爆撃によりなくなるのです。

現地の子どもたちは学び続けることが困難な状況に追い込まれます。学校に通えていたとしても、学校自体が武器の保管などの軍事的な目的で使用されるため、空爆の対象となりやすいのです。学校には兵士がいるので、生徒が軍に強制的な労働をさせられることもあります。

また、紛争による精神的ダメージも忘れてはいけません。子どもの6人に1人は紛争の影響を受ける地域に暮らしているというデータがあります。そのような環境で暮らす子どもたちには、空襲で家族を失ったり、親と離れ離れの生活を強いられる人が数多くいるのです。つまり、紛争により精神的な苦痛を受け、学ぶという行為自体が難しくなるのです。
(出典:セーブ・ザ・チルドレン-「報告書『子どもに対する戦争:武力紛争下の子どもたちへの暴力を終らせる』を発表-世界では6人に1人の子どもが紛争の影響を受ける地域に暮らす-」-
このように、紛争は子どもたちの教育の機会を奪い、精神的なダメージを与えているといえるでしょう。

敵対勢力への暴力や性的虐待

紛争では、敵対勢力に対する暴力や性的虐待が行われることもあります。例えば下記のようなことです。

  • 少女が敵対勢力に誘拐され、結婚を強要され兵士から性暴力を受ける
  • 誘拐されて子ども兵士にさせられる

子どもや女性という立場を利用した暴力が行われています。一刻も早く紛争をなくし、苦しむ人々を救う必要があるのです。
(出典:認定NPO法人テラ・ルネッサンス
乾燥地帯にテントで作られたたくさんの住居

紛争で苦しむ人々のために私たちができること

ここまで説明したように、紛争は人々を苦しめ、日常生活が困難な状況を作り出しています。そのような「紛争に苦しむ現地の人々」のために私たちができることとはいったい何なのでしょうか。

ボランティア

ボランティアに参加することで間接的に紛争に苦しむ人々を救うことができます。下記のような団体でボランティアを募集しており、事務サポート等を通して現地の人々を救います。

【ボランティア先】
セーブ・ザ・チルドレン-ボランティア活動に参加しませんか?-
具体的なボランティア内容は下記のような作業があります。

  • チラシの発送作業
  • 広報記事作成
  • 翻訳
  • インタビューの書き起こし
  • 動画編集

休日などの時間があるタイミングで援助できるのもボランティアの魅力です。紛争に苦しむ人のために自分の得意なスキルを活かして貢献してみてはいかがでしょうか。

寄付

寄付をすることも紛争で苦しむ人々を救うことにつながります。例えば、国連機関やNPO(Non-Profit Organization 非営利組織)への募金です。NPOとは市民が営利を目的とせずに、よりよい社会をつくろうとする団体です。具体的な募金先は下記のような団体があげられます。

【国連機関】
国連UNHCR協会-支援するには-

【NPO】
NPO法人アクセプト・インターナショナル-あなたにできること-
寄付金は紛争による難民の救助活動やインフラ整備などにあてられます。寄付を通して紛争に苦しむ人々の生活を支えてみてはいかがでしょうか。

紛争に関して学ぶこと

世界ではどのような紛争が起きていて、その背景には何があるのかを知ることも大切です。紛争について知ることで、今どこの国のどのような人が紛争に苦しんでいるのかを認識できることが支援意欲につながります。

例えば、「寄付をしてください」と言われただけでは寄付しようという意欲はわきにくいです。しかし、その寄付先について知り、「だから私たちの寄付による支援が必要なのか」と納得することで、支援する意欲につながります。

つまり、紛争について学ぶことは、寄付やボランティアなどで支援する意欲につながるのです。

まとめ

今回は紛争をテーマに解説してきました。重要な内容は以下のとおりです。

  • 紛争は2者以上の争い事、戦争は国同士での争い事、内戦は1国内での争い
  • 紛争は宗教、民族、資源、政権への不満などが原因で勃発する
  • 世界には現在も続く紛争が数多くあり、現地の人々を苦しめている
  • 紛争により、食糧難や感染症の流行、教育の機会損失が起きる
  • 紛争で苦しむ人々のために私たちができることは寄付、ボランティア、紛争について学ぶこと

紛争は2者以上の争い事を意味するため、戦争と内戦を含みます。そして戦争は国家間の争い事、内戦は1国内での争い事でした。

紛争は現在も続いており、それらの原因が宗教、民族、資源、政権への不満のいずれかに該当することが多いです。複数の原因が複雑に絡み合って紛争が勃発することもあります。

そのような現在も続く紛争は、現地の人々の教育の機会を奪ったり、最悪の場合、罪のない人の死を招く可能性があります。

人に甚大な被害を与える紛争を防ぐために、私たちにできることは、まず「知ること」です。世界で何が起きており、どのような紛争の背景があることを知ることがボランティアや寄付の動機付けにつながります。紛争について学んで、知ることからはじめてみませんか。

この記事の執筆者
EARTH NOTE編集部
SDGs情報メディア
「SDGsの取り組みを共有し、循環させる」がコンセプトのWEBメディア。SDGsの基礎知識や最新情報、達成に取り組む企業・自治体・学校へのインタビューをお伝えし、私たちにできることを紹介します。
身近なアイデアを循環させて、地球の未来をつなげていきましょう。皆さんと一緒に取り組んでいけたら幸いです。
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